1951年に保守党が政権をとると、政策はニュータウンから大都市周辺部の中小都市の拡張へと比重が移り、1952年に都市開発法が制定され、1955年にはグリーンベルト政策により大都市周辺部は厳しい開発のタガがはめられた。この結果、ニュータウンは1955年スコットランドのグラスゴー周辺のカンバーノルド、1961年リバプール周辺のスケルマースデイル、1962年スコットランドのリビングストン、1963年バーミンガム周辺が許可されただけであった。しかし、1964年に労働党が政権に復帰すると、再びニュータウン政策を積極的に展開し始めることとなる。一方、1960年代になると、バーロー・レポート等の一連の計画で前提となっていた大ロンドン圏の居住人口・就業人口は不変という前提が、ロンドンでの事務所の増加、人口増加により崩れ始め、イギリス北部より南東部への人口の流出が依然止まらないということがはっきりしてきた。